涅槃という漢字が読めるだろうか。書けるだろうか。

涅槃図
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2月15日は涅槃会である。って何それ?

2月15日は涅槃会である。それって、なんかの飲み会か?バレンタインの残念会の総称か?と思った人は、おそらく【涅槃】という漢字が読めていない。これは[ねはん]と読む。いや、そんなこと常識だよ、と言って漢字をさささっと書けるあなた。きっと、ちょっとしたインテリか、家に代々、お仏壇がある家柄。もしくは仏教徒。

涅槃とはパーリ語では[ニルヴァーナ]と言う。アメリカに一世を風靡したロックバンドがかつていました。

その涅槃会[ねはんえ]の奉納のための写経に毎年通っている。もうこの数年、場所はとある有名なお寺さん。

写経は般若心経をサラサラサラ、と書いていくだけなのだが、この時間は不思議と集中して気持ちのいいものだ。何度もこなしていると字も綺麗になったような気がする。気がするだけだが…

涅槃とは?

さて、この涅槃会とはいったいなんぞや、ということだが、仏教ではとても大切なご縁の日である。お釈迦様が亡くなった日だ。

願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

と詠ったのは、かの西行法師。この短歌は涅槃のことを表現している。

西行法師が憧れたその姿

実際に西行法師は文治6(1190)年2月16日、73歳で亡くなっている。
つまり、きさらぎとは2月のこと、望月とは15日のことだから、1日遅れだが、ほぼ自身の歌の通りにこの世を去ったわけだ。それだけ、お釈迦様の死に強烈な憧れを抱いていたということになる。

それは何故なのか、というのが今回のお題目。

仏教の教祖、お釈迦様

お釈迦様はインドの釈迦国の王子としてお生まれになり、29歳で出家し、6年間の厳しい修業の末、その修行を捨てて、ガヤという地の菩提樹の下で35歳の時にお悟になられた。そして、45年間の布教の旅をされ、クシナガラという場所で80歳でお亡くなりになる。

生誕からのことは、また書いていきます。

お釈迦様の死の原因

それは腹痛でした。純陀(チュンダ)という鍛冶屋のオヤジがお釈迦様の教団に食事の布施をされた。この食事にはいろいろな説があり、きのこ汁だか豚汁だかを振る舞い、これが食中毒の原因になった。ただ、お釈迦様は弟子の阿難(アナン)尊者に純陀を絶対に責めないように伝えている。むしろ、純陀の食事によって、涅槃に至ることができる。これは大きな功徳であると説いている。悟りにいたる乳粥を布施したスジャータ(某企業名で有名)と同等であると。

実際、お釈迦様は純陀が供養した食事の後、クシナガラに移動され、そこで頭北面西右脇臥(ずほくさいめんうきょうが)の姿で涅槃に入られた。一般的な言い方をすれば亡くなられた。

亡くなられたお姿

まず頭北。日本人は北枕は良くない、という風習があるが実際はこれは間違いで、お釈迦様は北を頭にして最後を迎えられている。悪いことではない。この時、北の方角には誕生の地ルンビニーがあり、足下の南には悟りの地、ブッタガヤがある。
次に西面とは、これも諸説あるだろうが、まず西方浄土の方角を向かれていると言える。涅槃とはまさにこの浄土へ繋がる唯一の道だ。
最後に右脇臥だが、右脇を下にすることだ。これはインドでは病人をこのように寝かせることが良いとされていた。医学的な見地からだが、実際、現代の医学でもこの寝姿はいいらしい。

黄金色に輝いたお釈迦様。からだも巨人だった。

そして、お釈迦様のからだは黄金色に輝いていた。これは究極の悟りの姿だ。仏像が金で作られるのも、これに由来する。涅槃図を見てお気づきかもしれないが、お釈迦様が異様に大きい。実はお釈迦様の身長は1丈6尺あったと伝えられています。メートルで言えば、約4.85m。巨人です。
この身長を基準にして仏像も作られます。これを丈6(じょうろく)と言います。この丈6よりも大きいものが大仏と呼ばれます。

涅槃の様子を描いたものが涅槃図

涅槃図,お釈迦様,クシナガラ,四天王寺
四天王寺にある涅槃図

さて、このお釈迦様の涅槃の姿を絵にしたものを涅槃図という。涅槃図は実に様々な絵師が描いているが、絵筆の差こそあれ、どれも基本的な構図は同じである。
まず、真ん中にお釈迦様が横になっておられます。

沙羅双樹の木

そして、その後ろには沙羅樹という木が対になって8本。対になっているので沙羅双樹と言う。あくまで木の状態を表した表現です。これは平家物語の冒頭にも出てくる。

祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす

つまり、この沙羅双樹は半分が枯れていて、半分が青々と盛んに茂っている。世の中に常なるものはなく、いつかは枯れていくが、しかし、お釈迦様の教えはこの先、ますます未来に向って伝えられ多くの人々を救っていく、ということが示唆されています。

満月と摩耶夫人

そして、夜空には満々とした満月。1ミリも欠けていない。これは完璧な姿で亡くなられたお釈迦様のことを意味しています。満月の横、空から雲に乗ってやってきたのは、お釈迦様のお母様の摩耶(マヤ)夫人。弟子の阿那律(アナリツ)尊者が神通力を使い、天界の叨利天(とうりてん)にいらっしゃったお母様を連れてこられた。
この時、摩耶夫人が薬を投げられたがお釈迦様には届かずに木の枝に引っかかった。ここから投薬という言葉が生まれたという説がある。

弟子たちと動物

涅槃図には弟子や菩薩、天の方々がたくさん描かれています。代表的なのは、正面辺り、お釈迦様の横たわる前で、悲しみのあまり気絶している人物がいる。先ほども登場した阿難尊者だ。彼は十代弟子の一人で超美形だったらしい。いまで言うイケメン。常にお釈迦様の側にいたので聴聞第一と言われている。

その他にも、動物たちがたくさん描かれている。じつは干支の元になったのはこの涅槃図で、お釈迦様のいまわの際に訪れた順番が干支になった。猫がいないのはネズミが伝えなかったからだが、涅槃図には猫が描かれているものもある。これは絵師が猫好きだから、という理由がある。
日本の昔話にある干支の話は、この涅槃図から来ている。

とこの涅槃図について書いていると、字数がいくらあったも足りない。

涅槃とは究極のお姿

さて、西行法師がなぜ、この姿に憧れたのか、ということである。
もう、お分かりだと思うが、それは仏教の究極の目的だからだ。

涅槃とは吹き消すという意味がある。つまり、あらゆる煩悩を吹き消す、ということ。
執着や煩悩から離れ、これ以上にない心が静まったお姿。それが涅槃。
この姿に憧れることは、仏教徒にとって重要なことである。

この涅槃の姿になることこそ、仏道の先にあるもの。だから、西行法師は自身の短歌にその想いをこめ、念じに念じて、ついには、その涅槃会と1日違いの日に亡くなったわけだ。

あらゆる執着や煩悩から離れ、これ以上にない心が静まったお姿。それが涅槃。
この姿に憧れることは、仏教徒にとって重要なことである。

終わりよければ、すべてよし。

お釈迦様のことを知りたいなら、手塚治虫の【ブッダ】がおすすめ。未読の方はぜひ読んでみてください。

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この記事を書いた人

オフィス スルースカイ 代表|広告制作、WEB制作、コピーライター|フリーランス歴20年|ブログではITにまつわる情報を発信|時々、趣味の仏教をわかりやすく解説します|プログラミングや動画編集のスキルもあり|SEO上段者へ邁進中|

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